最近はかなり音楽界隈にも浸透してきましたが、フォーカル・ジストニアをご存知でしょうか?職業性ジストニア、局所性ジストニア、あるいは書痙とも言われますが、特定の動きをする際にだけ不随意に筋肉が収縮してしまうという病気です。音楽家がこの病を患ってしまうと思うような演奏ができなくなり、最悪の場合は失業なんてことも。フルート奏者に多いのは特定の指での発症ですが、唇にも起こり得ます。本日は筆者自身の経験を踏まえ、ジストニアの症状、予防、発症後の対処について書きたいと思います。
始まりは「練習不足かな?」
「アルルの女」が吹けなくなった
私は数年前にフォーカル・ジストニアと診断されました。初期症状は本当に些細で、バッハのある曲をさらっていたのですが、練習してもしても出来ないという何ともありがちなこと。ただ、いつもと違うのはそんなに小難しいパッセージではなかったということです。その内、左手のいくつかの指が不随意に動くのを感じるようになり、それを抑えようとする力みによって肘が痛くなり始めます。決定打はビゼーの「アルルの女」のソロが吹けなくなったこと。中高生の頃には吹けていたメロディーが今更吹けないのはおかしいと思い、神経内科を受診したのでした。
投薬と1年半ほどの自己流リハビリでおおよそ回復
フォーカル・ジストニアは日常生活には何ら支障はありませんが、きっかけとなった楽器の演奏時、特に私の場合は左手の小指を上げ下げする前後で意に反する動きが出てしまう状態でした。割と早い段階でジストニアを疑ったこともあり、私の症状は恐らく軽い方だったため、注射や器具の装着はせず、神経を鎮める薬(副作用でとても眠くなる・・・)を飲みながら、地道なリハビリ(ほぼ自己流)を行いました。四分音符=30でないと16分音符のスケールが吹けなかったのですが、1年半ほど経って四分音符=100くらいでほぼ力みなく吹けるまでに戻りました。その後も少しずついろいろな曲や課題を通して指を慣らしていき、昨年投薬をやめることができました。
最近は唇も怪しかった
指のジストニアを経験したので唇の不要な力みにも敏感で、最近「これはまさか・・・」と思うような調子の悪さでした。アンブシュアが不自然になってしまっていて、響きのないバサバサの音。しかしそういう状態で唇のことばかり考えると良くないことは経験で分かっていたので、アンブシュアのことを気にしてしまうようなアプローチをやめ、別のことにフォーカスするように注意しました。幸い調子が戻ってきたので一安心でしたが、もしあのままアンブシュアを戻そう戻そうと努力していたら、恐らく唇のフォーカル・ジストニアにもなってしまうところでした。まだまだ今後も油断はできません。
指のフォーカル・ジストニアを防ぐには
フォーカル・ジストニアは一生懸命、真剣に練習する人ほど発症しやすいものです。そして速く指を動かせる人ほど罹りやすいのではと思っています。指を動かす神経を守るためには丁寧な練習が欠かせません。
同じ動きの反復が最もダメージを与える
できない箇所を練習し続けることによってダメージが与えられていくと、あるところで自分の言う事を聞かなくなってしまいます。
「でも練習って出来ないからするのでは・・・?」という声が聞こえてきますが、確かにそれはごもっともです。私の経験からすると、「練習の仕方やプロセス」に問題があるまま、反復練習を重ねることが危険なのだと考えています。今思えば、私の学生の頃の練習の仕方は随分いい加減なものでした・・・。ですので、分かりやすく表現すると「できない箇所を間違った方法で練習し続ける」とダメージが蓄積していくのだと思います。
「できない」練習をしない
運動神経というのは右脳がコントロールしているそうで、動きのイメージが正しくインプットされているかどうかが重要です。しかし吹奏楽部の学生さんの練習を聞いていると、時々パラパラ〜と適当に吹いているのが聞こえてきます。粒が揃っておらず、抜けている音もあったりしているのにそれらはそのままに、次の瞬間には別の箇所を吹いている・・・。それを聞くたびに私はドキドキしてしまうのです。
こういう間違った運動を重ねていると、正しい動きを覚えるどころか、間違う癖がついていきます。10代の頃は確かに本番だけ出来たなんてこともありましたが、それは子供の頃だけです。
この悪い癖(走る、転ぶ、音が抜けるなど)が一度ついてしまうと抜くのが大変なので、ゆっくりでも良いから1秒でも長く正しく吹くことが重要です。
ゆっくり丁寧な練習を心がける
「うさぎとかめ」の有名なお話がありますが、亀タイプの人、つまり普段から慎重に練習をする人は、恐らくジストニアにはなりにくいと思います。私はどちらかというとうさぎタイプで、譜読みが速いので割とすぐに曲全体が吹けるようになるのですが、細かいところの練習をコツコツするのが苦手でした。
運動を正しくプログラムしていくには、ゆっくり丁寧に練習する事が何より早道であることを、私はジストニアを通して学びました。動きのイメージがモヤっとしたままにしない、吹き飛ばさないという事が大切です。
唇のフォーカル・ジストニアを防ぐには
アンブシュアは全ての「結果」!故意に作るものではありません
私自身の場合ですが、調子がおかしくなっている時はアンブシュアの不自然さが自分でものすごく気になります。しかし、それを元に戻そう戻そうとすればするほど駄目なのです。
そもそもアンブシュアがおかしくなっているのには根本的な原因があるはずで、殆どの場合アンブシュアに原因がある訳ではないと言えます。ですのでアンブシュアをどうにかしようとするのは間違いで、それ以外の部分…息、アタック、口の中の空間、姿勢、構え方などを見直したり、そちらに意識を向けた方が解決に向かいやすいです。
アンブシュアは作ろうとして作るものではなく、空気を吸って吐くまでのプロセスの結果でしかありません。例えばテストの点数は事前の勉強の結果であって、ただ点数をどうにかしようと思うだけでは駄目ですよね。アンブシュアに関しても、息が出てくるまでのことを見直す必要があるという訳です。
アンブシュアに頼らずに音色を作り出す練習をする
こちらに関してはまた別の記事で詳しく書きたいと思いますが、鍵になる事をメモしておきます。
- 唇は柔らかいまま、つぶさない(特に下唇をリッププレートで強くつぶさないように)
- 吐く息の形をイメージする
- 口の中は広ければ良いというわけでもない
- 唇のことを考えずに、まず息を出す意識で基礎練習をする
- 温かい息を吐くイメージ(じっくり鳴らす)
- フルートは大きな音が出る楽器ではない、響きで勝負する
・・・ほとんど筆者自身のための覚書ですが、もしかすると悩めるどなたかのヒントになるかもしれません。
フォーカル・ジストニアが疑われる場合は
反復練習をおやすみする
どこか繰り返し練習をしていて、指が自分の意思と違う動きをしていると感じたら、その反復練習をまずやめましょう。そして、どんな時に発生するのかを冷静に分析します。何調の時なのか、どの指を動かそうとした時なのか、などです。フォーカル・ジストニア自体に痛みは無いのですが、力みが強く出るようになると関節が痛んだりすることもあります。普段と違う痛みや痺れにも注意が必要です。
アンブシュアの違和感についても、まずは一旦楽器を置いて落ち着きましょう。いつもと頭部管のセッティングが大きく違わないか、楽器の調整が著しく狂っていたりしないか、まずはハード面を確認します。上記の「アンブシュアに頼らずに音色を生み出す練習をする」の項目を眺めてみて、吹き方をリセットしてみましょう。改善しない場合、いきなり病院に行くのではなく、可能であればそのような症状に詳しそうな先生に相談してみるのも良いでしょう(アンブシュアに悩んだことのない先生だと難しいと思います)。
リハビリは「間違った動きの記憶」を「正しい動きの記憶」に塗り替えていく作業
フォーカル・ジストニアは「病気」というカテゴリーですが、当事者の感覚としては「悪い癖」といった感じの方がしっくりきます。もちろん重度になると演奏もままならないのですが、軽度の場合はその時点で全く演奏できない訳ではありません。悪化を防ぎ、リハビリする事で回復も十分可能だと思っています。
指にしても唇にしても、ジストニア患者は間違った筋肉の動かし方を記憶してしまっているので、それを正しい運動記憶で塗り替えていくというのが私がとった方法でした。最新の治療ですと開頭手術なんかもありますが、それは楽器に向かうと手が丸まってしまって本当にどうにもならないところまで進行してしまった奏者が取る手段であって、もちろんリスクもあります。手術しかないという状況に到達する前に、症状の悪化を阻止してじっくりと自分の運動記憶を正していければ、近いうちに再び演奏できる可能性があるのです。
スローダウンエクササイズ
指のジストニアを患った際に私が行ったのは、「どうして弾けなくなるの?」という音楽家のフォーカル・ジストニアについての数少ない専門書に載っていた「スローダウンエクササイズ」というものです。
ルール
- 症状が出やすい箇所を練習する場合、症状が絶対に出ないテンポにメトロノームを設定して吹く
- 少しでも力んだり、不随意に指が離れたりすることがあったら即中止、またはテンポを下げる
- テンポは絶対にすぐ上げない、2〜3日、もしくは1週間変えない
私は全調のスケールを勉強し直すことにし、冒頭にも書いた通り四分音符=30程度(実際のメトロノームは八分音符=60に設定)からスタートしました。特に苦手な調(B, Es, A-Dur)は慎重に。左手の薬指が悪くなっていたのですが、実際に暴れていたのは隣の小指と、勝手に離れてしまう人差し指でした。これらが変な動きをしないように、ジストニアであることを忘れてくれるように、ひたすらゆっくり練習しました。
それから個人的に練習の際に意識するようにしていることもあります。
- 力でコントロールしない(なるべく指はパラッパラの状態で正しいタイミングを狙う)
- キィを叩かない
- 指を上げすぎない
このエクササイズは大変時間がかかるのですが、本来学生の頃にこれくらい丁寧に練習していればこんなことにはならなかったわけで、いずれやらねばならなかったことだったのだと思います。そして30で限界だったのが気付けば倍の60で吹けるようになり、できることが増えていくのに楽しみさえ感じていました。
あくまで私にはこの方法が良かったということですので、ジストニアが疑われる場合は経験のある方や専門の先生にご相談することをおすすめします。
フォーカル・ジストニアを経験して思うこと
最後に、ジストニアを経験した私が今どう思っているかというと、ジストニアの経験は必要だったし良かったと思っています。
指のコントロールの正確性が格段に上がった
前述したように私の指は割とすばしっこい方なので、難しいパッセージもあまり苦労せず吹けるタイプでしたが、ちゃんとコントロールしているかというとそんなことはありませんでした。つまりは、速くは吹けるけれど走ったり転んだりしていた訳です。そうして小さな傷がどんどん蓄積した結果、あるとき神経がバグってしまった。
そこで止むを得ず超絶ゆっくりの練習をせざるを得なくなったのですが、このゆっくりスケールのおかげで以前よりも正確に、思い通りのタイミングで連符を吹くことができるようになりました。だから音階練習って大事なのです(今更)。やれと言われたスケールをただ吹き散らかしてもダメで、本当の意味で正しく吹けているかが重要だったことに、遅ればせながら気づくことができました。
難しい箇所を練習する方法を教えられるようになった
そして指導の面でも、かつては難しいパッセージが出来ない中高生にどう教えてあげたら良いのか分からなかった(自分が苦労せず吹けてしまっていたから)のですが、吹けないという苦労を身をもって知った今は、神経に優しく、かつ着実にできるようになる方法を伝えることができるようになりました。
治らない病気ではない
一昔前は治らないといわれていたフォーカル・ジストニアですが、最近は克服したというプロ奏者も増えてきたように思います。もちろんジストニアが原因で、早めの引退を余儀なくされた名演奏家の方がいらっしゃるのも事実です。
実を言うと私の指も100%回復したかというとそうは言えず、95%のことはできるけれど残りの5%は頑張れないという感じです。つまり5%はどうしても出来ない運指があり、それを無理に頑張ろうとすると恐らく再発するでしょう。しかし替え指などでいくらでもカバーできますし、40%くらいのことが難しくなっていた状況からここまで回復した今となっては、その5%など全然大した問題ではありません。
私は試していませんが、最近はフォーカル・ジストニアに特化した鍼治療なんかもあるようです。私のように薬で緩和しながらリハビリをするのも一つの方法ですが、さまざまなアプローチができる時代になってきたように思います。
最後に
もちろんジストニアにならない事が一番ですが、なってしまってもすぐに諦めないでください。少しでもおかしいと思ったら練習を中止してどなたかに相談してください。悪化するところまでしてしまうと回復が難しいことは事実ですので、そうなる前に自分のせいにせずジストニアを疑い、1日でも早く正しいお付き合いを始めましょう。
私はもちろん専門医ではありませんが、経験者としてご相談に乗ることはできますので、もしお悩みの方(「ジストニアかもしれないけど、病院に行くべきかどうか悩んでいる」など)はお気軽にお問い合わせください。
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