ラ♯、レ♯、ド♭、ミ♯、ファ♭…これらの臨時記号を伴う音を楽譜上で見て、すぐ指遣いが思い浮かびますか?ファのダブルシャープや、シのダブルフラットを見て、「ソ」や「ラ」とメモしたくなりませんか?
楽譜上には「異名同音」といって、指遣いは同じでも違う名前という音が存在します。例えばラ♯とシ♭、レ♯とミ♭、ド♭とシのような関係の音のことです。
ド♭をシ、ミ♯をファと書いてくれたらすぐ分かるのに…と思ったことがあるかもしれません。ではなぜわざわざ一見分かりにくい表記をするのでしょうか?
*この記事では、注釈がない限り「ドレミ」を固定ドとして表記しています
*異名同音に関する別の記事は以下のリンクでお読みいただけます

理由1:異名同音が存在するのは、楽譜を見やすくするため
例えば、イ短調(a-moll)の曲の中で、ソ♯(Gis)が時々登場します(譜例2)。


これは短調の特性で、導音である音階の第7音(イ短調ではソ・G音)を半音上げることが多いためなのですが、もしこれがラ♭(As)で表記されているとこうなります(譜例3)。

音階の7つ目をA♭で表記した結果Aが二つになってしまった
すると、同じ音階の中にラが二つ登場してしまいます。ラ♭(As)が出てきた後、主音であるラ(A)にはナチュラルを付けなければならなくなります。
ルールに則ってソ♯(Gis)で表記していれば、ラ(A)にナチュラルをつける必要なく、楽譜がスッキリ見やすくなります。
理由2:異名同音が存在するのは、調性を判断しやすくするため
そしてもう一つ大切な目的があります。それは調性を判断しやすくするためです。
先ほどのイ短調(a-moll)にはソ♯(Gis)が使われるということは前述しました。これをラ♭(As)と表記されてしまうと、ある程度楽譜に慣れている人が見た時に、とてつもない違和感を感じます。
楽譜の中である音に臨時記号がついたということは、その調号にはない派生音(♯や♭を伴う音)であるということです。これが何を意味するかというと、その瞬間やその周辺で転調が起こっていたり、別の調からハーモニーを借りてきている可能性がある(借用和音)ということになります。
もしイ短調(a-moll)のメロディーの中にソ♯(Gis)がある場合は、音階の第7音(導音)である可能性が高いと言えます。しかしこれがもしラ♭(As)と表記されてしまうと、ラに♭がつくような調…例えば変ホ長調(Es-Dur)や変イ長調(As-Dur)のような調に転調しているのか!?とびっくりするのです(もちろん本当に転調しているのであれば、ラ♭(As)で表記しなければなりません)。
「白鳥」の8小節目
サンサーンス/白鳥より。ト長調(G-Dur)ですが、ここでは一時的な転調が起こっており、ロ短調(h-moll)の旋律短音階となっているため、臨時で♯が三つもついています。ラ♯に慣れていない場合、シ♭と考えたくなりますが、ロ短調の音階と思えば納得できるはず。

「シチリアーノ」の中間部
皆さんが苦手と思われるダブルシャープやダブルフラットも、必要な表記です。フォーレ/シチリアーノのこの辺りは臨時記号の嵐で、特に初心者を惑わせるのがシのダブルフラット。


何故B♭♭(Beses)なのかが分かる
シのダブルフラットが出てくる部分の伴奏譜を見ると、C♭・E♭・G♭・B♭♭(C♭7)というハーモニーになっています(Eには調号で♭がついています)。分かりにくいので全て♭を一つなくしてみると、C・E・G・B♭(C7)となり、属七の和音であることが分かります。これをC♭・E♭・G♭・Aと書いてしまうと、演奏はしやすくなるかもしれないですが、和声的にはおかしなことになってしまうのです。
西洋音楽の原則
ここまで、異名同音がどう役立っているのかということを述べてきましたが、そもそもどんなルールによって異名同音を使い分けているのでしょう。
西洋音楽では音階の構成音が必ず7つ。そしてその7つにはA〜G(ドイツ音名でナチュラルのBを表記する場合は、Bの代わりにHを使用)の音を当てはめなければいけません。つまり、ド〜シまでがひとつずつと決まっています。
先ほどイ短調(a-moll)の音階の例でご説明したように、もしソ♯(Gis)で表すべきところをラ♭(As=A♭)で表してしまうと、A・B(H)・C・D・E・F・A♭となります。Aが2回登場していますね。固定ドではラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ラ♭となり、ラが2回使われることになってしまいます。
ダブルシャープが出てくる例を挙げると、例えば嬰ト短調(gis-moll)の場合。
<gis-moll自然短音階>

短調のため、音階の第7音を半音上げることが多いのですが、第7音のファにはすでに♯が一つついています。この音を半音上げるということは、つまりソの運指を取ることになります。だからといってソと表記してしまうと、以下のようになります。
<gis-moll、間違った例>

こうしてしまうと、音階の中にソが2回出てくることになってしまうので、ルール違反ですし、調性が分かる人にとっては非常に違和感があります。
<gis-moll、和声短音階>

そこでファをダブルシャープにする必要が出てくるという訳です。こうすることで、前後にソ♯が出てきても問題ないですし、ファに元々♯が付いている調なのだということも分かる訳です。
表記のルールの例外
しかしこのルールにも例外があります。例えば半音階を表すときや、全音階、減七の和音などでは、AからGまでを全て使うというルールを貫く方が、かえって読みにくい場合があるのです。
半音階
半音階の記譜は、上行の場合は♯をつけていき、下降の場合は♭をつけていくのが一般的。必然的にA〜Gの音は複数回登場することになります。


全音階
ドから始まる全音階だと、ド-レ-ミ-ファ♯-ソ♯-ラ♯-ド(ラ♯の代わりにシ♭と書く場合もあり)。全音階は1オクターブに6音しかないので、7つの文字のうち1つは元々使われません。
しかもこの音階は主音に向かう解決感がない(調的な重力がない)ため、「ラ♯」と書くべきか「シ♭」と書くべきかを決める理論的な根拠がそもそもありません。なので前後の和音や運指のしやすさで選んでも良いことになります。

減七の和音/ディミニッシュ
理屈通りに3度ずつ積み重ねると、本来は「ド-ミ♭-ソ♭-シ♭♭(シのダブルフラット)」になるはずのところ、シのダブルフラットは読みにくいので、実際の楽譜では「ラ」と書かれることもあります(加えてソ♭をファ♯で書くこともあります)。

「減七であっても、和音は3度毎に積み重ねなければならない」という意見の方もいらっしゃいますが、私のこれまでの経験でも両方見たことがあります。この辺りは読みやすさ重視の方が、個人的にはパッと和音が掴めるので助かります。
まとめ
異名同音は、単なる「紛らわしい表記」ではありません。楽譜の中に同じ音が二度登場するのを避け、調号にない派生音がどこから来たのか(転調なのか、借用和音なのか、単なる導音なのか)を一目で判断できるようにするための、大切な仕組みです。
基本ルールは「A〜Gの7つの音を、ドからシまで一つずつ必ず使う」こと。ただし全音階や減七の和音など、厳密にルールを守るとかえって読みにくくなる場面では、読みやすさを優先した例外も存在します。
こうして楽譜上のルールを見てきましたが、実は異名同音には表記だけでなく「ピッチ」の面でも興味深い違いがあります。次回は、ファ♯とソ♭は同じ音なのか?というテーマで、純正律や音程の話を書いてみたいと思います。



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